朝日新聞大阪版に掲載されました。(2006.06.21)
以下掲載記事です
■男49歳、時代の流れにゃ負けへんで(2006/6/21)

貝塚の工場を閉め、転身の笹谷さん
泉州の地場産業として57年続いた織物工場を閉め、家財道具などを預かるトランクルームに改築することで再起を図ろうと、ある社長が奮闘している。
織物では中国などからの輸入品の波にのみ込まれたが、今は新事業PRのため、チラシの投げ込みなどに励む毎日だ。
需要は未知数だが、「時代が求める事業だと思って、踏ん張りたい」と言葉にも力が入る。
笹谷徹さん、49歳。祖父が1949年に創業した織物会社「笹谷繊維工場」(貝塚市名越)の3代目だ。創業以来、同社は大手商社の下請けなどして、男性用下着や布団の生地などを作ってきた。
従業員は社員とパートをあわせて10人程度。「盆暮れ以外は働きづめだった」。ほぼ毎年、なんとか黒字経営で乗り切ってきた。
しかし、中国などからの安価な輸入品に徐々に押され始めた。貝塚市によると、78年には約590億円あった同市の繊維製品の出荷額は00年には163億円に下落。笹谷さんは90年代半ばごろから麻やポリエステルを綿に織り込むなどした特殊な生地で生き残りを図ってきたが、「倒産する前に転身した方が良いのではないか」。今年3月に廃業した。
家には専業主婦の妻、3人の娘と犬が一匹。笹谷さんが稼がないと生活は立ちゆかない。
キャリアを生かした同業の工員や繊維商社の営業マン。関西外国語大卒の経験を生かしての英語教師。妻の実家が寺のため僧侶になることも考えた。しかし実際に就職活動をすると、思うように働き口は見つからなかった。

宣伝チラシを郵便受けに入れる笹谷さん。PRには余念がない=貝塚市内で
次は倉庫業だ
そこで考えついたのがトランクルーム業。愛着ある織物工場の改築で開業できる。幸い周囲にはまだ同業者が少ない。業者同士の取引しかなかった織物会社とは異なり、利用者と直接やりとりできることも魅力的に映った。ものを捨てるにも金がかかる時代。「時代のニーズにあった商売だ」。何とかやっていけそうな気がした。
最大の課題はいかに知名度を上げるか。宣伝チラシを毎日少なくとも200枚は郵便受けに投げ込むことを自分に義務づけた。苦手だったパソコンも教室に通って覚え、PRのためのブログも書き始めた。改装のレイアウトは自分で決め、契約書類なども自作。コストをかけまいと手作りの準備を続けてきた。
「売り」はある。笹谷さんが自ら事務所に詰め、荷物の受け渡しを無料で代行する。また織物工場の防音壁を再活用。だんじり祭の太鼓やバンド練習などに使える防音室も2部屋設けた。値段も「格安に抑えた」とアピールする。
夢でチラシ配り
しかし、まだまだ戸建て住宅が多い泉州地域で十分な需要はあるのか。不安はぬぐえない。今月中のオープンに向け改装を進めているが、全115室のうち、問い合わせはまだ5件程度。「夢でチラシを配ったり、工事の変更のアイデアを考えたり、と熟睡できません」。ブログに悩みを書き連ねたこともあった。
しかし、笹谷さんは粘るつもりだ。「貝塚、泉佐野、岸和田あたりまでが商圏。まだチラシを配ったのはごく一部。まだまだこれから。地道にやれば、道は開けると信じてがんばりますわ」
(川見 能人)